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金沢大学がん進展制御研究所
所長 松本 邦夫
本年3月に、シグナル伝達研究分野の教授を務めてこられました、善岡克次教授が、定年で退任されます(本ニュースレターにご寄稿いただいています)。善岡先生は1994年に本研究所の助教授に着任され、2001年に教授に昇任されました。善岡先生は、細胞増殖・分化・細胞死とその制御異常に起因するがん特性制御において重要な機能を担うMAPキナーゼ経路を入り口に、複数のシグナル伝達経路間の統合的な制御を担う足場タンパク質の研究で独自の世界を開拓されました。長年に渡る私たちの研究所への多大な貢献に敬意と感謝を申し上げます。 金沢大学では一昨年に、文理融合の「融合学類」がスタートしました。文系理系の間にギャップ感のない人材育成が目標です。昨年、融合学類1年生に、スタートアップ(ベンチャー)の経験や分野融合にちなんだ単発の講義を依頼されました。僕は理学部を卒業、大学院理学系研究科を修了後、就職したのは大学病院の皮膚科でした。皮膚科の助手の募集があったとき、周囲の同僚たちからは「医者じゃないのに皮膚科?終わりやで?!」と言われましたが、一歩踏み出しました。皮膚科では外来や病棟で病気に苦しむ方やその家族の方に間近で接する機会がありました。僕以外は本来の「患者を診る」先生ですが、僕だけは「患者を見る」先生。深く心に残っているのは腫瘍を患っていた小さな男の子です。その子の額にすっぽりと穴が開いて頭骨が露わになっているように見えました。お母さんは藁をもすがるようなお気持ちだったと思いますが、わが子に何の不安もないように穏やかに話しかける気丈な様子も印象に残りました。その後、その子の微小な皮膚片から細胞を増やして、シート状にした培養皮膚を準備しました。腫瘍そのものを治癒できるわけではありませんが、その子の額がその培養シートで覆われました。皮膚科での経験から「病気の診断や治療につながる研究をしたい」という思いができました。僕にとっての異分野経験から「大切な思い・志」につながる縁をいただきました。一歩踏み出すことが大切な縁につながることを学生に伝えました。
昨年、政府は「スタートアップ創出元年」と位置付け、スタートアップを後押しする事業が準備されています。大学発のスタートアップが生まれ、社会実装を介して地域や世界に貢献することも大学の役割です。金沢大学発のシーズ・技術・アイデアを核とするスタートアップを増やしたいとの和田隆志学長の意を受け、昨年4月から、産学連携・研究(総括)担当の金沢大学副学長を担当しています。僕が一歩踏み出すことでスタートアップを起業し、その経験が多少なりとも金沢大学に活かせることはありがたいことと感じています。
善岡克次教授は2023年3月末をもって、当研究所を定年でご退任されました。2001年10月に金沢大学教授に就任され、21年半の長きにわたり、大学院学生の教育、若手研究者の育成に尽力されました。また学術研究面においては、細胞生物学を専門分野とし、特に細胞機能の根幹にかかわる細胞内シグナル伝達および細胞内輸送の研究においてすぐれた研究成果をあげ、当研究分野の発展に貢献されました。その永年にわたる功績に心より敬意と感謝を申し上げます。
シグナル伝達研究分野
教授 善岡 克次
早いもので、がん研に赴任して28年になります。あと数ヶ月で定年を迎えますが、実験をしながらこの原稿を書いています。こちらに赴任する前のKarin研究室(米国カリフォリニア大学サンディエゴ校 UCSD)でも、帰国直前まで実験をしていたと記憶しています。
これまでを振り返ってみると、研究にどっぷり浸かった生活をしていたとつくづく思います。大学卒業後、分子生物学に興味を持ち、大学院(修士課程)は堀内 忠郎先生の研究室でお世話になりました。まだ右も左も分からない状況でしたが、意外にも研究は順調に進み、修士2年の時に研究成果を発表する機会に恵まれました。私にとって初めての学会参加で、研究室に戻ってからも、しばらくは妙にテンションが高くなっていたことを今でもよく覚えています。奇遇ですが、その学会(第4回日本分子生物学会)の年会長は吉川 寛先生(当時、金沢大学がん研究所)でした。博士課程では、高木 康敬先生の研究室で、私の恩師、榊 佳之先生から研究の手ほどきを受けました。高木先生は一時期(1959年~1963年)金沢大学医学部で研究室を主宰され、亀山 忠典先生(癌研究施設・がん研究所)の招聘にもご尽力されたと聞いています。学位取得後、北里大学助手(柴 忠義教授)、九州大学助手(榊 佳之教授)、UCSD博士研究員(Michael Karin教授)を経て、1994年11月、本研究所の山本 健一先生の研究グループに参加させていただきました。幸運なことに、2001年10月からは、大学院生時代に憧れていた研究所で、研究室を主宰することになりました。
私たちの研究室では、ほぼ一貫して、細胞内シグナル伝達と細胞内輸送の研究を行いました。その間、多くの方(学類・大学院生、研究スタッフ)と一緒に、予想外の実験結果に一喜一憂しながらも、じっくり腰を据えて、自由にのびのびと研究に取り組むことができました。研究に参加していただいたすべての方、さらに、研究所の皆さまに感謝しています。末筆ながら、がん進展制御研究所の益々の発展を心より祈念いたします。
順天堂大学医学部
病理・腫瘍学講座
主任教授 折茂 彰
金沢大学の先生方にはいつも大変お世話になっております。この度、腫瘍分子生物学研究分野 高橋智聡教授と共同研究をさせていただいているご縁で、このような紹介の機会をいただき誠にありがとうございます。高橋先生とは2001年夏に米国マサチューセッツ州のColrainにある故David Livingston博士(Dana-Farber Cancer Institute, Harvard medical school)の別荘で行われた研究進捗会でお会いしました。高橋先生はMark Ewen lab(Dana-Farber Cancer Institute)でRbの研究を、私はBob Weinberg lab(Whitehead Institute, MIT)で乳癌の線維芽細胞の研究をしていました。夜の食事会ではRbや癌微小環境に関して熱く語りあったことを今でも覚えています。野田亮先生(京都大学)がWeinberg 博士の書籍 “Racing to the Beginning of the Road”を翻訳されたご縁で、2005年に京都大学でセミナーをさせていただき、高橋先生との再会が叶いました。高橋先生は野田先生のもとで、RECK遺伝子に関しての研究を継続されていました。
私は米国でのポスドクを終えた後、英国のCancer Research UK Manchester Instituteを経て、2012年に順天堂大学に赴任しました。高橋先生は2009年に現職の金沢大学の教授に就任されました。2015年には高橋先生が代表世話人を務められた日本癌学会主催・金沢大学がん進展制御研究所共催、日本癌学会シンポジウム・共同利用共同研究拠点シンポジウム(ジョイント)「がん幹細胞・微小環境・薬剤耐性・分子標的〜がん進展制御への挑戦」の演者にお声がけいただだきました。帰国後は、学会や研究会などでお会いできる機会も増え、お世話になっております。
2022年度共同研究課題「癌内線維芽細胞による癌細胞内RECK活性の制御機構の解明」が採択されました。癌微小環境に対するRECK遺伝子の役割を明らかにするために、癌微小環境のメインの構成細胞である線維芽細胞と癌細胞の相互作用がどのようにRECK活性を制御するのかについて研究を進める予定です。個人的には、癌化の初期に線維芽細胞が癌細胞周囲にリクルートされ、RECK活性を低下させて、癌浸潤を促進しているのではないかと推測しています。この研究が面白い方向に進むように、高橋先生と一緒に頑張りたいと思います。今後ともご指導の程、何卒宜しくお願い申し上げます。
金沢大学がん進展制御研究所
腫瘍分子生物学
教授 髙橋 智聡
Colrain meetingにおいて折茂先生と初めて出会ったのが2001年であったと思います。この会は、David Livingston先生, Ed Harlow先生, Bob Weinberg先生とかつて彼らのポスドクであったPIたちが各々2名までのポスドクを連れてきてプレゼンさせる、言わずと知れたボストンRBマフィアのコアミーティングです。私は、ボスのMark Ewen先生のラボが比較的小さかったことが幸いし、3回出席することができました。ColrainはMassachusetts州の山間部にある町で、Livingston先生の奥様がお父様から相続された広大な牧場がそこにあり、もとは馬小屋であった建物をミーティング用のスペースに改修したのです。参加メンバーは当代最高でありますが、交わされる議論の厳しさから、我々ポスドクはCold rain meetingと呼び換えていました。この年の夕食会で偶然ひとりの日本人の隣になりました。とても気さくな方で、すぐに打ち解けました。この会ではビッグボス達が厨房やサービスを担当するのが習わしで、この年Ewen 先生と私は、往き道のStop & Shopで大量のオイスターを買い出しする任務を仰せつかりました。Weinberg先生が我々を見つけ、「オリーモーさーん」といいながらこの日のメインであるジャンバラヤをお皿によそってくれました。味付けが随分辛かったので私はWeinberg先生に辛いぞと文句を言った覚えがあります。その辺にいたポスドク達とも仲良くなり、実に楽しい夜でした。「オリーモーさーん」は、果たして翌日2005年の有名なCell論文に繋がるCancer Associated Fibroblasts(CAF)に関する非常に重要なデータを披露したのでした。その後、私は京都そして金沢へ、折茂先生は英国ラボを経て東京へ。国内の学会でお会いする機会が増え、共同研究のお話しも出てきました。お会いする毎に折茂先生はCAF周辺分野の最新のお話しを詳しく情熱的に教えてくれます。真の学究とはこういうものだと尊敬申し上げております。さて、添付の写真の一葉目は私と折茂先生が写ったもの、もう一葉は、有名PIがかなり集中しているものを選んであります。ノーベル賞受賞者もいます。皆さん、何人の顔が判りますか? 二葉目の背景がいわゆる「Livingstonの馬小屋」です。Livingston先生は愛弟子Bill Kaelin先生の受賞を見届け一昨年亡くなりました。
折茂教授と髙橋教授は2022年度採択課題で共同研究をすすめています
腫瘍分子生物学研究分野
特任助教 中山 淨二
博士になってから10年以上が経つ。未だ、人類の繁栄に繋がるような研究を成し遂げていない。せいぜい論文の表紙に選ばれたり、研究成果が地方新聞で報道されたり、その程度である。これまで国立の研究所や大学に所属し、膨大な時間と労力を研究に投じ、人件費を含めた多額のお金がこれまでの研究に費やされて来たが、その成果は全く世の中の為になっていない。不撓不屈に研究に邁進しようが、同業者から独創的研究と評価されようが、その成果が世の役に立たないのであれば、穀潰し同然である。つまり10年以上タダ飯喰いを続けて来たことになる。学位取得後、自由の国に渡り、3年と半年、自由の国の人々が納めた血税を使ってタダ飯喰い。その後、東南アジアの小島に遁れ、5年と4ヶ月、小島の人々が納めた血税を使ってタダ飯喰い。2017年から山形県の場末に流れ着いてからも、4年間、場末の人々が納めた血税を使ってタダ飯喰い。2022年の夏から金沢大学に移動し、現在もタダ飯喰いを継続中である。そろそろ正義を振りかざす人々の逆鱗に触れ、ミンチにされた後、富山湾に撒かれてブリの餌にされそうなので、タダ飯喰いを卒業する頃合いかもしれない。山中伸弥先生がips細胞の論文を発表したのは44歳。大隅良典先生が出芽酵母を用いたオートファジーの論文を発表したのは47歳。本庶佑先生がPD-1を単離・同定した論文を発表したのは50歳。そろそろタダ飯喰いを卒業する準備を始めてもいい年齢ではあるが、渾身の論文をNatureやScienceに投稿しても掲載には至らない。たかが週刊誌への単発読み切り掲載でさえ達成できていない。巨匠・手塚治虫氏や鬼才・漫☆画太郎氏のように、週刊誌に連載を持つより遥に難易度の低い業である。この程度の業を完遂できない自分の才覚のなさに焦燥感が募る。現在まで、数々の事柄を卒業してきたはずである。幼少期のおねしょを皮切りに、小学校、中学校、汚れなき聖少年など、破竹の勢いで卒業を完遂して来た。ほとんど努力せず完遂できた卒業もあれば、馬車馬のように働き、ようやく完遂できた卒業もある。タダ飯喰いの卒業。定石を踏み続け、卒業できずに散っていった研究者の方が圧倒的多数である。みんなそうだからと開き直り、卒業を放棄していると、品行方正とは程遠い自分は、高確率で一罰百戒の犠牲になること間違いなしだろう。今更、生活態度を変えることはできないので、タダ飯喰いを卒業するしかない。誰とも違うユニークなアイディアと、ゼブラフィッシュと、この文章を読んでいるあなたからの寛大な心持ち(やや期待)と手厚いサポート(超期待)でタダ飯喰いを卒業しまーす。
がん・老化生物学研究分野
特任助教 中野 泰博
2022年10月より、城村由和教授が主宰するがん・老化生物学研究分野の特任助教として着任しました中野泰博と申します。私は愛知県名古屋市の生まれで、大学院は京都、ポスドクは東京と三大都市圏を渡り歩いてきました。今回、はじめての北陸圏ということで、周りからは雪が降ることも多い金沢の環境に適応できるか心配する声もいただきましたが、当研究室の城村教授や馬場准教授、定免技能補佐員が温かく迎えてくれて、その不安も吹き飛びました。また、私は食べ歩き&グルメ巡りが趣味なのですが、金沢は魚介類や甘いものがどれもおいしいので嬉しいかぎりです。皆様、おいしいご飯屋さんをご存じでしたら、ぜひ教えてください。
さて、私のこれまでの研究についてですが、大学院生のときは膵臓の発生、とくに腺房の立体構造がどのように構築されていくのかを研究していました。その後、ポスドクでは同じ肝胆膵のなかでも肝臓を研究の主なターゲットにしました。とくに、肝臓の線維芽細胞である肝星細胞の活性化・脱活性化を中心に、肝臓の病態制御や再生についての研究に取り組んできました。肝星細胞は、肝線維化の責任細胞であり、肝癌においては癌関連線維芽細胞にもなることから、肝臓の病態制御に重要な細胞です。また、臓器の線維化や癌の進展には、肝星細胞のような非実質細胞の老化が深く関連していることが示唆されています。こうした背景から、当研究室に参加するご縁をいただきました。
これからは当研究室のメインテーマである細胞老化を視点として、老いるとなぜがんになりやすいのか、について研究していきたいと思っています。具体的には、老化細胞の蓄積が病態形成の一因となる加齢性疾患(例えば、肝臓では非アルコール性脂肪肝炎)を背景とした発がん機序について、老化細胞可視化マウスなどを用いて生体内の老化細胞への理解を深めることで、この謎に迫っていければ、と考えています。皆様、何卒よろしくお願い申し上げます
爆睡するパンダ(和歌山・アドベンチャーワールド)
分子病態研究分野
教授 後藤 典子
みなさんは、ES細胞(図1)やiPS細胞についてご存知ですよね。ES細胞は、embryonic stem cellsの略で、胎児になる前の細胞の培養細胞です。iPS細胞は、体のいろんな部分の細胞から作ることができるもので、2006年に山中伸弥先生によって、マウスの線維芽細胞という培養細胞から初めて作られました。ES細胞もiPS細胞も、体の全ての組織の細胞を作り出すことができる、全能性の幹細胞です。人の体の全ての細胞を作ることができます。このような幹細胞にまつわる生物学が1950年くらいからめざましく進展してきました。
一方、たとえば脳には脳の細胞、つまり神経細胞や神経を取り巻く細胞にしかならない幹細胞がいます。骨の中の骨髄には、血液細胞、つまり白血球、赤血球などの血液細胞にしかならない幹細胞がいます。同様に、乳腺にも、乳腺細胞にしかならない幹細胞がいます。このような幹細胞を組織幹細胞と言います。体の全ての組織は、この組織幹細胞が分化することによって作られることがわかっています。そして近年、がん組織も、がんの幹細胞からがん細胞全てが分化することによって作られているらしいということがわかってきました。
(図1)マウスES細胞:緑の部分が小型のES細胞の塊であり、周りの細胞はフィーダー細胞
「胚性幹細胞」出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』クリエイティブコモンズCC0ライセンスのもとで2次利用しています。
ES細胞、iPS細胞や組織幹細胞の神経幹細胞は、培養皿の上で培養できます(図1)。
神経の幹細胞は、球状のマリモのようになって増え、スフェロイドと呼ばれています。こうすることによって、いろんな実験をすることが可能になり、幹細胞生物学が飛躍的に発展しました。私たちは、がん幹細胞も同じように培養できることを見つけたのです。これ(図2右上)は、乳がんの幹細胞ですが、マリモのようなところが神経の幹細胞とよく似ており、スフェロイドと呼ばれます。私たちは、乳がんの患者様から手術で取り出した組織を少しいただいて、スフェロイド培養をおこなっています。また、がん組織をマウスに移植した患者由来移植がん(Patient-derived xenograft:PDX)も作っています(図2下)。
このようにがん幹細胞を培養することができるようになったため、がん幹細胞の性質を調べることができるようになり、沢山のことがわかってきています。
(図2)